日本ローカーボ食研究会

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甜菜の歴史2

甜菜の歴史2

安井医院 医師 安井廣迪 記

甜菜の歴史1は こちら

3a1a29d132049cbda97e2dfd80b1d4e5.jpg中国の甜菜

2.jpg甜菜の根

中国の甜菜(てんさい)
 甜菜は、もともと地中海沿岸の原産ですが、中国にも昔から存在してはいたのです。陶弘景(456-536)という中国の医師が編纂した『名医別録』という薬物書の中に、「?菜(てんさい)」という名で記録されています。発音は甜菜と同じで、その名は「甜い(甘い)」からきていると思われます。ただ、甜菜の薬用部分は地上部で、根にはほとんど関心が持たれていませんでした。
 明代に李時珍が書いた薬物書『本草綱目』(1590)には、第27巻「菜部」に甜菜が収録されていますが、記載のほとんどは地上部(葉)に関するもので、主として解熱に効果があると書かれています。「根」については次のような記載があるだけです。
 「根。気味:甘、平、無毒。主治:経脉を通じ、気を下し、胸膈を開く」
味が「甘」とは書かれていますが、とても砂糖の原料になるような甘さを持っているとは思えない書き方です。しかし、この植物のラテン名はBeta vulgaris L. var. rapacea L.といい、ヨーロッパの甜菜とほとんど同じ植物なのです。
実際、現在の中国では、黒竜江省、吉林省、内蒙古、新疆などで栽培されており、全世界の甜菜糖の約7.5%を生産しています。

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中国の甜菜(百度百科より)

日本の甜菜糖業
 明治維新後、新政府は農業近代化に取り組み、亜麻や大麦など、西洋作物の種子をいくつも輸入し、東京開墾局で試作させていました。甜菜もその一つで、明治3年(1870)にヨーロッパに気候が似ている北海道で栽培を試みましたがうまくいきませんでした。

明治11年にパリで開かれた万博に派遣された勧農局長松方正義(後に総理大臣)は、西欧諸国での甜菜糖業の隆盛を見て、日本への本格的な導入を決意し、北海道の紋別に官営の製糖工場を建設、明治14年1月に操業を開始しました。しかし、未だ農業・工業の技術が追い付かず、その後の再三の努力にもかかわらず、甜菜製糖は成功しませんでした。
ようやく大正8年になって北海道製糖が、大正9年に日本甜菜製糖が設立され、なお、苦難の道のりではありましたが、のちにこの2社は紆余曲折を経て、現在は日本甜菜製糖という会社になって操業を続けています。
現在では、甜菜は、北海道の畑作農業の基幹作物の一つとして重要な位置を占めています。
甘蔗(さとうきび)が、アジア・中南米・オーストラリア・アフリカなどの熱帯や亜熱帯地域で栽培されているのに対し、甜菜はヨーロッパや北米などの比較的冷涼な地域で栽培されるのが特徴です。その意味では、北海道は気候的に甜菜栽培に適していると言えるでしょう。
甜菜から作られた砂糖は甜菜糖とよばれ、国内原料による日本の砂糖生産量の約75%、日本における砂糖消費量の25%を占めています。なお、世界的に見ると、甜菜糖は、全世界の砂糖生産量のうち約35%を占めています。なお、葉と搾りかす(ビートパルプ)は、家畜の飼料として利用されています。(写真は日本版Wikipedia、および中国の百度百科より転載しました)

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